お客様の声
京都府 田中様
杉フローリング床暖房用
京都府 田中様 杉フローリング床暖房用
「杉と暮らす毎日・・・。の、お客様の声・・・。」
今度移転した仕事場の玄関を開けると、床に貼ったばかりの杉板の香りがする。
遊び心で貼ってみた。木の香りがするとは思わなかった。見栄えと美意識からそれは選択された。匂いと音に気になる自分であるが、これは悪くない。来客の評価もまあまあないしそれ以上、気分の悪い筈がない。
一日の大半、大袈裟には人生のかなりの部分を過ごすオフィスである、いくら現場稼業の測量事務所といってもスチール製品ばかりの佇まいではつまらない。京町屋風情とまでいかなくとも、ハハハ、真似事くらいはしてみたいではないか。ちょうど旧事務所と同じ町内に木造平屋の空き家を借りることができ、リフォームの一部に無垢材杉板を使った次第である。気持ちに大いなる充足を得る。
中小企業家同友会伏見支部の昼食会で聞いた、建材店の若い二代目さんのスピーチが頭の隅にあった。建材の何でも屋さんから無垢材フローリングに特化して店を見事に蘇生させたという。ギャラリーを見に行って感心した。国産ものから、中国、北米、欧州産の無垢材が標本のように多数展示してある。サクラ、ヒノキ、クリ、パイン、スギ、エトセトラ、木の美しさに感動した。海外旅行しても、木材の仕入れを忘れず、仕事と遊びの境目がないという。ネット販売で全国に顧客を持つのだそうだ。フシのいっぱいある徳島産の杉板の素朴に惹かれ、予算もここまでとこれを買うことにした。
木は香りだけでなく肌触りのいいこともこの度知った。靴下のまま床を歩く。すべすべした感触が心地よい。心騒ぐものがある。「木のぬくもり」と呼ばれるが、「やさしさ」なのだと思う。京都弁の柔らかさは敬語からくるのかと質問されたことがあり、ずっと自問しつづけた挙句、近頃、京都言葉は「やさしい語」だと思うようになった。生活事象の評価に「やさしい」というスタンダードはこれから大切と思う。特に建築など、「やさしさ」で評価してみることはおとなも子どもも高齢者も、すべてに重要と思う。
床には塗料を施していないので、その分甲斐甲斐しくそうじに精を出さねばならない。ひさしぶりに濡れ雑巾で床拭きをし、足腰にこんないい運動はないことに気づき、これも無垢の杉板の効用也かと、納得の面持ちになる。「雑巾がけはそうじの原点」と達観しながら、ことのついでに箒で掃くことの是非に思いが及ぶ。
クルマ、携帯電話、パソコン、家電製品その他諸々、およそ文明の利器たるもの、技術革新とはいいながら、動機的には資本の論理から生れたものだった。それらは使用価値を持つただのツールであり、それ以上のものではない。クルマが二足歩行の機能を退化させ、ワープロが手書きの能力を退化させているのはどなたサマにもあてはまるだろう。特にクルマって奴の、人間にとっての歴史的文明的医学的文学的弊害は徹底検証されてよい。
床を箒ではいてみたが、箒でじゅうぶんである。ちいさなゴミや埃は杉板がフィットしてうけとめているようで、掃除機でガリガリガーガーするより、箒で撫でるほうが掃きだせる。雑巾がけすれば判ることだが、掃除機は拭き掃除まではゼッタイこなしていない。掃除の美学は最後には一枚の濡れ雑巾に帰着する。健康によく、磨くほど床に風格が出てくるなら言うこともない。
事務所移転も落ち着き、玄関下駄箱のうえに花瓶を置いた。備前焼筒状の小型の花瓶、家の庭から切りだしたつぼみのユリをさした。グラジオラスに似た名称不明の赤い花もさした。ユリは開花した。三輪のユリが、楚々として咲いているだけと思えば、芳香を漂わせはじめた。木の香りと花の香りが混ざり合う。そう言えば子どもの頃学校へ家から花を持っていった。四季折々、庭の花を花器に飾れたらいいと思う。
